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ニレジハージとアインシュタイン

by Kevin Bazzana (5.21.2008)





「Lost Genius」の読者の1人が、テオドール・フォン・カルマンの死後の1967年に出版された自伝「The Wind and Beyond」に登場するニレジハージ話をKevin Bazzanaに知らせてきた。カルマン(1881-1963)は、母国ハンガリー、後にドイツとアメリカで活動した著名な研究者で、彼の仕事は様々な分 野のテクノロジー、特に航空工学と宇宙工学に影響を及ぼした。1930年、彼はパサデナにある、カルテックのグッゲンハイム宇宙工学研究所の所長となっ た。彼は、ベラ・ルゴシやポール・ルカスなど、ロサンジェルス地域のハンガリー人移民達との親睦を深めていた。

カルマンの自伝の第二十三章、「ボーア、フェルミ、アインシュタイン」の183ページに、次の小話が登場する。悲しむべきことに、この話もまた、ニレジハージのプライドの高さが、彼のキャリアの最も大きな障害となっていたことを示している。


自 分がアインシュタインに関わった試みの1つは、全くの失敗に終わった。ただ、それが科学の領域でなかったことは幸いだったが。私は、ハンガリーの傑出した コンサートピアニストだったニレジ・ハジ(原文誤り)が、パサデナの大きなホテルで、BGMを演奏するような不幸な境遇にまでに落ちぶれていることを知っ た。ブダペストでは、彼は天才であり神童であると見なされていたのである。実際、精神分析の教授が、彼についての本を一冊書いたものであった。私の妹 (姉)と私は彼のためにも残念なことだと思った。彼がこの国で機会を与えられるべきだと思ったので、南カリフォルニアの芸術家やエージェント達を集めて、 彼のことを助けようと決めたのである。我々はアインシュタインを表彰するためのパーティを企画した。南カリフォルニアでもっとも知られたエージェントを招 いて、偉大な数学者に謁する機会を与え、彼のヴァイオリン演奏をきいてもらおうとしたのだ。言うまでもなく、彼らは皆やってきた。その夜、我々が狙ったよ うに、ハジは皆からピアノを弾くように頼まれた。不幸なことに、その瞬間、アインシュタイン夫人は、ハジがアインシュタインのヴァイオリン演奏に付き合っ て弾く、ということを思いついたのである。皆は喜んだが、ハジは憤然としてしまった。「私は誰の演奏にもつきあわない」。ハジはきびすを返し、演奏するこ とを拒否した。

つまり、我々がアメリカの音楽界の目をハジに向けさせようとした試みは失敗に終わったのである。一方、アインシュタインは大喜びでヴァイオリンを弾いた。皆は彼を祝福し、そして、ハンガリーの神童のことは忘れてしまった。


これはニレジハージとアインシュタインの最初の会合ではなかった。1915年から1917年の間、ニレジハージがベルリンで勉強していた時に、彼はアイン シュタインの自宅を訪問している(神童として、地元の名士によく会っていた)、ニレジハージの妻ドリスの記録によれば、話題は噛み合なかった、とニレジ ハージは思い起こしている。1つのことに関しては、意見の衝突を見た。アインシュタインはモーツアルトと他の古典的作品を好んでいたが、ニレジハージはリ ストのような大ロマン派を好んでいた。アインシュタインは自身を優れたアマチュアヴァイオリニストとみなしており、得意げに若い訪問者のために演奏したの だが、ニレジハージは(他の多くの人々と同じく)彼の演奏に感心しなかった。ニレジハージがカルマンのパーティに現れた時、アインシュタインが、昔の出来 事を思いだしていたかどうかは不明である。

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