ニレジハージと演奏スタイルの変遷



photo(C) Yoshimasa Hatano

ニレジハージの演奏が、音楽史でどう位置づけられるべきかは、今後数十 年のうちに決定されるべきことである。ただ、一つ確かなことは、楽譜を重視しないニレジハージのスタイルは、現代では主流たり得ない、ということである。 近年の演奏は、楽譜をいかに正確に再現するか、いかに主観を最低限にとどめつつ、全体の黄金律を保つかに重点がおかれる。コンクールなどでも、少しでも風 変わりな演奏をしようものなら、イーヴォ・ポゴレリッチほどの優れたピアニストでさえ予選落ちするのである。こういった風潮からすれば、ニレジハージの演 奏など、「ジョーク」(ウラディミール・アシュケナージ)(1)、の一言で片付けられるのも無理はない。しかし、リストら19世紀の作曲家/ピアニスト は、実はもっと自由に演奏していたのだ。楽譜から離れ、即興を加えることさえままあった。モーツアルトやバッハの即興演奏は実に見事で、彼らの協奏曲作品 などは、演奏家が即興することも考慮に入っていたとも言われている。ある時、ショパンはリストが演奏する自分の曲を聴き、「面白い。ところで誰の作品です か?」と問うたという(1)。クラシック音楽もかつてはジャズのように、インプロビゼーションの要素が強く、演奏者による改変は当たり前だったのだ。まぎ れもなく、ニレジハージはその時代の生き残りであった。


ニレジハージがスラムで大半を過ごした半世紀の間に、時代は変わり、演奏芸術の形がさらに変質していく。アカデミズムの発達、原典至上主義、それから、な によりも、レコード録音の発達によって、普段の演奏にさえ、楽譜をコピーするような”完璧性”と簡素さが求められるようになった。演奏スタイルの近代化で ある。この動きは、演奏技術が未発達であった時期には非常に意義のあることであった。特に、粒よりの団員を集めるのが難しいオーケストラではそうである。 1930年代のストコフスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団のアンサンブルの完成度の高さは、当時では驚異的であった。しかし、今、ちょっとした大都市に 行けば、同じレベルのアンサンブルを持つオーケストラを聴くことができる。音楽が、もはや一握りの天才達だけのものでなくなったのだ。アカデミズムの恩恵 である。

一方、この動きには負の側面がある。「機械のようなテクニックをもっているが、楽譜が無ければ何もできない連中(マイルス・デイヴィス)」という、楽譜の 「奴隷達」も、音楽学校によって大量生産され、しかも大手を振って活躍するようになったのだ。この傾向は日本やアメリカで顕著である。しかし、リヒテルや フルトヴェングラーの演奏が心をうつのは、楽譜を正確に再現したためではない。楽譜の向こう側にあるものを把握し、表現したからである。そういったイマジ ネイティヴなことができるのは、いつの時代もごく一握りの音楽家、つまり真の意味での芸術家だけだった。録音を聴く限り、ニレジハージは、そのような範疇 に入る一人だったのではないかと感じる。