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ラヴェル「4声のフーガ」

Tomoyuki Sawado (Sonetto Classics)


「4声のフーガ」の直筆原稿(筆者蔵)

モーリス・ラヴェル(1875-1937)は、1889年からパリ音楽院でガヴリエル・フォーレらにピアノ、作曲、和声法を学んだ。1905年に音 楽院を去るまで、ラヴェルは「古風なメヌエット」「亡き王女のためのパヴァーヌ」を始めとする格調の高さと優雅さを兼ね備えた優れた作品を生み出して いる。彼の天才は明らかだったのにも関わらず、新人の登竜門であるローマ大賞には縁がなかった。彼は5度挑戦し一度も一等賞を取ることがなかった。

この間に残されたノートが最近日の目を見た。この中に未発表のフーガの断片が一葉あり、私は数年前とある筋からその直筆原稿の実物を入手している。 この4声フーガは古典を模した「古風なメヌエット」の書かれた1890年代のものらしい。20小節からなる小品である。鉛筆書きでサインはないが、 Hans Schneider博士によってラヴェルの真筆と確認されている。100年間公にされなかった音楽である。

鉛筆のスケッチということで消しゴムの修正が完全でない箇所も多くあり、正確な音がわからない箇所もある。 再現にあたっては一番それらしく見える音符 を採用した。
(5/7/2007)





7/2/2013追記)その後、このフーガ全曲の楽譜が出版されたようだ。1901年の作品で、やはりローマ大賞応募のための習作ということらしい。http://www.scribd.com/doc/42169322/Ravel-1901-Fugue-Prix-de-Rome

以下から演奏を聴くことができる。

http://www.youtube.com/watch?v=oX-BhnJeAiE

私の楽譜は明らかにこのフーガの断片でスケッチだったようだ。私が再現した音と音符がいくつか違うのは、判読の難しさによる私のミスに加え自筆譜 の方が習作、つまりまだ未完であったことだろう。正直、この自筆楽譜の真贋は専門家の鑑定を別にしてもフィフティフィフティだと思っていたのだが、完全版 の登場によって ラヴェルの真筆である事がほぼ確実になった。

7/7/2013追記)

ローマ大賞は毎年夏、音楽院で行われ、予選と本戦からなりたっていた。応募者は音楽院の作曲課に所属することが求められた。そして、応募者は予選のために4声のフーガおよび合唱とオーケストラのための商品を提出させられた。

1899年、ラヴェルとクラスメートらは何らかの理由でフーガを提出しなかったため、首席に必要な要件を満たせなかったらしい。1900年、ラヴェルはローマ 賞に応募したものの予選で落選。翌年、パリ音楽院においてラヴェルは作曲課にフーガを提出するものの、時の音楽院院長テオドール・デュボアによって実 力不足として拒否され、作曲課から外される。フォーレの尽力で聴講生として作曲課の出席がゆるされ、それによってローマ大賞参加が可能になっ た。

ラヴェルは1901年にエントリーして予選を通過、三位を獲得する。ラヴェルは引き続きローマ大賞に挑戦、しかし1902年、1903年に最終選考で落 選、1905年にはフーガが正統的でないとして予備選考で落選した。当時、ラヴェルはいくつかの作品で成功をおさめていたため、メディアや批評家は音楽 院を激しくバッシングした。院長のデュボアは辞任し、フォーレが後任の院長となる。

この流れでラヴェルはいくつかのフーガを作曲している。このうち、F-majorのフーガは時期的に見て第三位を獲得した際に提出されたものらしい。

D major (1900)
F major (1901)
Bb major (1902)
E minor (1903)
C major (1905)
G major (1905)

私がスケッチを購入した際、他にも2-3葉の断片があった。もっとも完成していたF-majorを入手したが他のフーガのスケッチは見送った。画像くらいは保存しておくべきだった。

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