サイト更新情報
ウィキペディアのニレジハージの項目にお
ける誤情報について
12.8.2017
以前指摘したこともあり、一つ書き忘れた。
1903年1月19日 - 1987年4月13日
→誤り。正しくは1987年4月8日没。これは死亡証明書がある。

11.10.2017
10.31更新のウィキペディアの記事で以下のエラーについて、修正がほぼなされていることを確認。
10.23.2017
日
本版ウィキペディアにおいては、英語版ウィキペディアと比べて独自見解、客観的情報に基づかない主観、情報の誤りが多く散見される。ニレジハージのページ
も例外ではなく、数年前まで老いた彼がみすぼらしいなりをしてカーネギーホールに現れてピアノを弾かせるよう頼んだ、というひどい作り話が何年も放置されてきた。問題の記述は削除されたが、まだ多くの記述の誤り等がある。個人のブロ
グなら良いが、多くの人が参照する辞典サイトである以上、誤りや問題のある記述は指摘しておきたいと思う。
こ
こでは、2017年6月2日に更新された2017年10月段階の最新版について、問題があると思われる記述を指摘しておきたい。あくまで一般に届く情報の質の改善を願って
のことである。
→誤り。正しくは Ervin Nyiregyházi。aの上のみにアキュート・アクセントがある(á)。
- ニレジハージと表記されることもあるが、姓に含まれる長母音は1つではなく2つである。
→誤り。正しくは長母音は一つ。aの上のみにアキュート・アクセントがある(á)。
もともと、ハンガリーのNyíregyházaという地域の出身者の中にNyíregyháziという姓を名乗るものがあった。ただし、アーヴィンのニレジハージ家は父親の代でiの上のみアキュート・アクセントを取り、Nyiregyháziとしている。このため、初期の第三者によるポスター等にはスペルミスを含
めた誤りが多いものの、彼のサインや公式に出されたアルバム表記等はaにのみアキュートアクセント(á)がある。
Nyíregyháziという勘違いはむしろハンガリー人の間に多く、ブダペストのリスト・アカデミーの
表記も長母音二つ(Nyíregyházi)となっている。これも明白な誤りで修正要求を出している。
- 1980年と1981年に来日し、演奏会を開いている。
→誤り。正しくは1980年と1982年。1982年のプログラムはこちら。
- 現在は同大学内の日本ニレジハジ協会によって校訂が進められている。
→誤表記。同協会の正式名称は「日本ニレジハジ協会」ではなく、「日本ニレジハージ協会」。彼の名前の表記に揺らぎがあるのは構わないが、協会名は登録された固有名詞である以上、
長母音を省くのは適切ではない。また、協会は閉鎖状態になっているため文章を過去型にすべき。
- しかし、その大学は閉鎖されたため、現在の協会の活動はわからない。
→高崎短大が閉鎖になったわけでなく、後継の創造学園大学が閉鎖になった。
正しくは:同短大は2004年に4年制の総合大学として創造学園大学となったが、大学は2013年に閉校となった。あわせて日本ニレジハージ協会も実質
的に閉鎖状態となっている。
- 最後の言葉は「車を用意して、カーネギーホールへ・・・」だったと伝えられる。
→死が迫った時期に発せられた言葉であるのは確かだが、この言葉が最後の言葉であるとはどこにも書いていない。
- しかし、アルカンは無名であったという言説はやや無理がある。LP収録の確率があまりに低すぎただけであり、孫弟子がアルカンであった人物
(ナディア・ブーランジェ)は多くおり、忘れ去られたとは言えない。
私の記述に
ついてのものなので反論しておくと、まず、ここで孫弟子を持ってくるのはアルカンの知名度の根拠としては唐突だし薄弱だろう。第二に、私は無名とは書いたが、忘れ去られ
たとは書いておらず、論のすり替えがある。第三に、無名か無名でないかは何を基準におくかによって違う。例えば復活前のニレジハージはヒストリカル
録音の世界ではそれなりに有名ではあったが、無名、と表現した方が相応しい状態にあった。ちなみにマルク・アンドレ・アムランは「50年代、
60年代に二人の人物に発見されるまでアルカンは無名(obscurity)だった」と語っている。これもまた無理のある言説なのだろうか。
問題は個人の主観による認識の違いを辞典サイトに書く必要があるのか、ということ。私は無いという考えだし、ウィキペディアの目的にも反している。